楽曲大賞を通して

主催ということはとりあえずおいておいて、個人的な事を述べます。
今年はKAT-TUNというグループに大きな動きがあって、それはファンレベルがどうこうできることではなく、動いた状態にただひたすらに振り回されたという、ただの受身にしていただけでもなかったことにできるほどではない大きな年であった。それはいい面もあれば当然悪い面も引き連れて。

活動しているメンバーの数が変わってしまったし、変動していないとはさすがに見た目にもいえないこと。その変化には誰もがすぐについていけるものではなく、変わるのはグループだけでもなく人それぞれ変わっていくもので付いていけたり、いけなかったりするのは個々のペースもある。

これは別に何事に対してもそうで、別に限った話ではないと思うだが、転換期というのは卒業入学でもない限りそうそうやってこないものかもしれない。まあ年単位で把握してることと急に発表されることとはまた違いますけど、変化に対応する、という面で。

そういう対応していく過程が今年ファンの間ではさまざまに。悲しむ人、元の形にこだわる人。反面、喜ぶ人や受け入れないいく人、ありのままを受けていく人。去る人。一方の考え方だけしか存在しないというのはなく、特に今回の件はその方向が真反対の方向へ向かい続けている面もあり、互いに狂信的な正義をかざす人、陰謀説を唱え続ける人など傍目にみても膿を見せ付けあい、貶めあうという光景が見られるようになった。否定することからでしかはじまらないかのように。

これは実にさもしい。

特にツイッター上では自分の好む意見だけを囲うことが容易であり、そこの意見をすべてだと思ってる人も多いせいなのか、匿名掲示板でもなかろうにひどく攻撃的な意見も簡単に目にするようになった。

そんな貶めあいをしているKAT-TUNファンは傍からみてどう思われるのだろうか。新規古参など区分はどうでもよくそれらはなんにしても多いにこしたことはないのである。しかしタレント商売を継続していただくには実売を伸ばしていくことくらいしか直接的にお手伝いするができない。それならばやはりファンはどうあれ増えていくことのほうが望ましい。間接的なことではやはりファンがいかに彼らを楽しんでいるかを広めていくことだろうと思うので、その意味で楽曲大賞開催している。5回目ではあるけど昨年度の運営上の教訓もいかしたく、今年はどうしても開催したかった。

しかし現状としてこのような状況の中開催することは、その膿の見せ付けあいになるのではないか、マイナスの面に澱むばかりではないか、そういった面からももちろん学ぶことはあるのだけど、そういう一部の過激な情報だけピックアップされやしないか、などよくないことの方が地味に伝播することを危惧した。「ファンがいかに彼らを楽しんでいるかを広めていくこと」には繋がらないどころか悪い部分を凝縮して発表する場になりかねない。

先も述べたように人はそれぞれであり好きなものが異なりその中でも幾通りの形がある。しかし自己防衛にしても○○担は受け付けません、など表面的な分類だけで何も見ようともしない、しかもそれを明言することに抵抗がない人が増えた。

好きや嫌いは主観であり、それは正義ではない。

だれもがどのように思うかも自由である。具体的にいうと6人妄想狂信者と5人絶対派の一部は曲解極論に満ちすぎていて、だがそれらの行き過ぎた意見ほど人には強烈に印象に残るもので、そういう領域がすべてになっている世界になってしまったとするなら、そういうファンしか寄せ付けないグループになってしまったんだろうと思う。

私はそれは悲しいが、それが具現化してしまう楽曲大賞だとするなら事実をして受け入れなくてはならないと思っていた。実際はそういった偏りを感じる意見がなくはないにせよ、大半は「好きであること」を前向きに表したもので埋まっていた。これらは数を要してでなければ感じられなかっただろう。

このことが上記のようなことを危惧していた私にとってどれほど大きな、大きな柱になったことがもし少しでも伝わればと思う。改めて協力していただいた方に感謝します。