6/21:1部(感想1問題点)

下記の構成をふまえた上でのネガな方の感想。もちろんネタバレ。
構成の中にさらに説明を加えるべきこととしては進行のアナウンス役をjr.がする、という事が大きい。これにより正直とっちらかった感は否めない。かなりウエイトが大きい。しかも今回のよくない点としてメインであるべきかつんが進行を気にするあまり固かったのに大して、きすまいもえびもえらい堂々とこなしており、余裕すら見えたwので主役がんばらないと、ふみきゅんに面白いところ持ってかれてるYO!と思いました。前の平成と違って、メインの彼等と同等くらいの迫力もありますからねえ。
しかし、彼等が堂々とこなす分にはいいんですけど、曲のブロックとして3曲ずつくらいの間隔で進行アナウンスなり、映像が入るような構成になっているので、これは経験からして盛り上がりにくい。大半の人にはわからんけどういんづのagehaツアーの構成と同じなのだorz。なんとなく感覚からだけど、せめて起承転結くらいの4曲くらい続かないと、そのブロックが持つ流れを音楽で繋げて高揚させるには必要なのではないかと…。起承転、でアナウンス、クールダウン、また起承転、でわあーってきた所でブツギレるから、とっちらかった感がするのだと思う。発信する側は発信内容を分かってるから起が分かるけど、受け取る側は噛み砕きながらなので、一曲くらい遅れて解釈しながらゆっくり上がっていってるんじゃないかなあ、距離で音が遅れるみたいな感じでさ。
これはどのアーティストでもそうだけど、映像をライブに入れてくるという事の視覚情報の量を考えるべきだと思う。人間、聴覚より視覚の方が感受するのに断然上らしいので、そういう映像で視覚を奪われた時に、視覚情報を押しのけてまでくる聴覚の情報って、なかなかすごいなっていうのは、こないだいったびーずさんでもなかなかない訳ですよ。むしろ映像によって内容を具現化をするから受け手の自由度がなくて萎える。余計な字幕をつけられたようなもんです。こういう時あるのが光だけの構成、演出の照明なのに!
抽象的なものならともかく、解釈の自由度がすくないものを、ライブという生の情報をとりにきた所で流されてもなあと。昨今の映像技術の向上によってステージの人の表現ではなく、映像に説明させている表現が多くて、ライブモニタならともかく、ライブにまできて茶の間かよ。そんな曲のイメージ提案とか流れとか映像で説明したいならPV作れよって。とまあ、今回メインのど真ん中にモニターがあって、あるからには色々だらだら流すので「困ったもんだな^^」と思ってました。あのオフショみたいなのに気をとられた時に、その時のメンバーも音楽もそんな覚えてないと思うんだよねー。視覚情報占有されるからそこで演出として印象に残るから出来てるようで、受け手の中で流れが切れてるんだよな。
この起承転結のことと、映像のこととで、セットリストとしての流れはさほど悪くないのにバラバラした感じがしてしまうんだと思う。まああとメンバーが一発目なので固かったんでお客を持っていくぜ!より今自分何を?!とどう?どう?っていう手探り感のせいもあるけどなー。でもこの流れだとメンバーがageageになるほどブツギレ感が増す気はする。多分このブツブツした感じで客が「???…!」が多かったのか「キャー!」が構成や演出からはまとまって飛びださかったんだよねえ…。メンバーのしぐさとか近くにきた!とかで局地的にあっただけで。
後の外部的な問題としてはマイクの音量が小さくて、被せになった時バレバレwとかかなあ。メンバー自体の問題はまた別に。